昭和50年07月21日 朝の御理解



 御理解 第五節
 「これまで、神がものを言うて聞かせることはあるまい。どこへ参っても、片便で願い捨てであろうが。それでも、一心を立てればわが心に神がござるから、おかげになるのじゃ。生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだことなし。此方が祈るところは、天地金乃神と一心なり。」

 神がものを言うて聞かせることはあるまいと。ここで神とは教祖様の御教え、教祖様の御理解の事を言うのだろうと思います。ただ一生懸命拝んで帰って来ると言うのではなくて、お参りをすると御教えを頂く。言うならば神の心を聞かせて貰う。その所を神がもの言うて聞かせると言う事は、そう言う様な事だと思うのですが、段々信心をみ教えを頂いて、信心をさせて頂いておりますと、私共の周辺に愈々これが神の姿であろうか、神の声であろうかと言うものを感ずる様になります。
 例えば人に悪口を言われても、あの人が私に悪口を言うたと言うのじゃなくて、神様が私の悪い所を指摘して下さったと頂ける様になるのです。そこに言うならば神がもの言うてくれると言う事になる。また事実がそうなんです。昨日あの様に一昨日から、昨日にかけて、研修の会がここで持たれました。まぁ初めてのあゝいう沢山の人数、120何名かの参会者でございましたから、本当に熱気に溢れる研修でした。
 もうほんとに素晴らしい合楽示現が出来たという感じの、後からのお話を聞かして貰いますと、愈々そうであったなという感じが致します。終わらして頂いて講師の先生が帰られてますから、外まで出らせて頂いたんです。初めてあんなに暑いと言う事を感じました。もう全然この頃外へ出ませんですからね。それこそこんな涼しい中に、全館冷房でおかげを頂いておりますから。
 まぁ一寸の時間でしたけれども、暑いわ暑いわあなた、あれがもしここに冷房がなかったら、どういう研修会になっとっただろうかと思うです。とても夏なんか出来はしませんですね。しかもあれだけの人数の者が集まって来ておりますから、まぁ本当に改めて神様の行き届いたおかげを、合楽教会に下さってあると言う事を、改めてその事をお礼申させて貰いました。それから一寸見ましたら、研修会の大きな立て看板が出てましたですね。それを見て、私はびっくり致しました。
 と言うのは真っ黒の、大きな看板でございます。それに紙を貼ってあるのですね。まるきりこれはどこかの告別式か何かの感じだったんですね。そして丁度秋永先生がひょろひょろ出て来ましたから、これはまたどうした事かと。私も出来て来た時に思いましたと、秋永先生が申します。それこそ私共は何時も神の声を聞き続けておるわけです。もうそこに、明日明後日はこれを母の告別式の時の、それに使うぞと神様がものを言うておって下さることをそこに感じるわけです。
 秋永先生自身もそれを感じたらしいのです。私は昨日でしたけれどもそれを見て感じました。それが先生私はこれを真っ白に塗って貰う様に頼んどったのが、どうした間違いか白が黒になってしまっておると言う訳です。本当に神がものを言うてくれると言う事は、御理解だけでない事が解りますね。本当に私共の周辺には、一時が万事にその様に、神がもの言うて下さると言う事を、体得する所に私は本当に合楽の信心の、ある意味での素晴らしさを感じます。
 いつも天地が奏でて下さるリズムに乗った生き方。そういう生き方の中にはここにもそこにも、神の声を聞く思いがする日々です。それがまた実に的確なのです。まぁそういう例を挙げれば、一日中切りがない事でございますよね。これは私自身の信心生活の上に於いて、そうなのです。神の声を聞き続けておる。今まではそういう教えをして下さる所がなかった。そういう風に神がもの言うて下さる所、ただ探りを入れる様なお話はあったかも知れませんよね。
 それは何々宗何々教と、教えがあるのですからやっぱり。けれども合楽で言う様にもう本当に、昨日も日田の国師さんがお参りをして、帰り道にマッチを拾ったと言うのです。そのマッチに、国師さんが今頂かなければならない、ハッキリ答えを頂いたと言うのです。合楽の方達は皆マッチと言うのは燃やすもの。同時に火を点ずるもの、信心に火を灯せと言う様に聞かせて頂きます。ですからマッチの広告マッチの事ですけれども。その広告マッチの中にでも、的確に神様はもの言うて下さる。
 この頃ある方の夫婦喧嘩のお届けが、夜中にありました時に、私は丁度その答えをそのまま、私の前にあったマッチで、その方にこれを持ってからご主人と話合いなさいと言うた事でした。そのマッチには何と書いてあるかと言うと、お茶屋さんの広告マッチでしたが、何と言うても飲んだら八女茶と書いてありました。だから奥さんに主人が 何と言うても、飲んで行けと言う事である。八女茶と言う事は、愈々広く大きくなる女大きい豊かな女になる事の為に、ご主人が何と言うても飲んで行けよと言う。
 神様がもの言うて下さる事がわかるでしょう。ならそういうのはその時だけと言うなら偶然と言うこともあるけれども、私の場合また皆さん場合でも、体験なさって行かれる内に、本当に神様がもの言うて下さる事を感ずるでしょうが。その様に自然の働きと又は、私共の心とはいつも一つになって行っておるのです。それを私共が間違った生き方をする所に、そこ辺の狂いが起こって来るです。神の声を全然聞かんごとなった。神様がいつも傍にござると言う実感をです。
 感じん様になった時には、私は自分の信心が間が抜けておる時を悟らして貰わねばいけません。只今本部で修行中の正教さんから手紙が来ております。今私が封を切って便せん一枚、読まして頂いたばっかりですけれども。この中から皆さん神の声を聞いて頂きたい。どう言う事が書いてあるか分からんけれども読んで見ましょう。「親先生日々有難うございます。夏期信行も半ばを越えられ、合楽のお広前は、益々熱気みなぎり、割れんばかりの、御祈念が奉唱されている事と思います。
 私も合楽に合わせて教祖様の奥城で、午後一時から大被詞10巻を、奏上させていただいております。只炊事の御用の時は後片付けがありますので、一時を過ぎてしまいますし、一時半から作業とかの御用がある時には、大被三巻止まりになってしまいます。私達、男女四班では夏期信行として、30分間の間に各先生の御教話をテープで聞き、それを基に共励を行っていますが、私が司会をする事が多いのです。私に力が無いばっかりに合楽の信心の深みを現す事も出来なくて残念でなりません。
 神様の思いに添う様な、共励の場にならせて下さいとお願いしているのですが、夕御祈念の後には母が持って来てくれた、親先生の日々のテープを、池田の小母ちゃん私を中心に常に6、7名多い時には10名を越える学院生で、聞かせて頂いております。学院に入学をさせて頂いきまして、約2ヶ月が過ぎ去りましたが、夏期信行と共に腹もどっしりと座り、神様一心に向かい始めているものを感じています。この2ヶ月人間関係の上で自分の弱さもさらけ出して、様々に心の修行をさせられました。
 人間関係の上でチグハグな結果しか現われて来なかったのも、夏期信行を本気で取り組ませてやろうとされる、神様の働き以外の何ものでもないものを感じさせられています。一切の事特に人間関係の上で、神様にお願いしての事だから、どうでもよいと言う心を育てる事を、修行と頂き(われを忘れて)これは学院に行く前に、此処で頂いていた事です。われを忘れて学院全体の身の上安全、修行成就をお願いして頂き、学院生一人一人の助かりを通じて、世界の助かりを祈り願わして頂こうとしております。
 この間、学院生で寝込む者が多く出来ましたが、その度に私自身の祈りの足りなさを反省させられて、全員の立ち行きを願い、神願成就終生道の布教に専念させて頂く為にも、御神徳を頂かして下さいと言う事を、願いの焦点として真剣に神様に向かわせられています。6月21日の私にとって初めての奉仕の御用が回って参りました。ですからこの日は、朝2時10分に起床、直ちに一人で奥城参拝。
 教祖様四神様三代様に、一心の真を以て、奉仕の御用に当たらせて頂く事を、人に示そうと言う思いがあるならお許し下さい。只無欲に一心に、神様に向かわせて下さいという、お願いをお届けさして頂きました。更に歴代金光様の御取次の御業を、少しでも神習わせて頂きたく今日一日は一秒一刻も御結界の座を開け渡さない覚悟で、親先生の思いに添わない所があったらお許し下さいと、願いながら学業を捨て食を絶って、御結界奉仕をさせて頂く決意を、お届けさして頂きました。
 朝礼後学院生が学業に立って、只一人御結界に座っていた私は、9時5分前に御神前に出て御祈念をさせて頂きました。頑張るぞと言う決意がみなぎって、心も清々しく心も爽やかな風に吹かれて、しみじみと有難い勿体無いと言う気持ちの中で、ようもようも親先生のおかげで、金光教の信心を捨てずに、御神縁あって尊いお道の御用に立たせて頂こうと、決意する様になったものだと思わせて頂いておる時、感動が何か解りませんが、人身が苦しくはない金縛り状態に落ちておりした。
 そして多くの御霊様が私に向かって、押し寄せて来られ特に右手の近くに来られた御霊様には、生々しい実感がありました。私は若干怖いので膠着状態のまま、一心に金光様を唱えさせて頂きましたが、余りにも永く身震い状態が続くので、その状態から抜け出そうと、一寸気をそらそうとすると、一人の御霊様が急に正面から迫って来られるので、声に出して必死で金光様を叫ばして頂くと、もうそれ以上迫って来られなかったと言う状態でした。学院生の真心の歴史の結果である。
 この学院広前は確かに生き生きと生きているし、どんな中にも金光様を唱えさせて頂けば、救われて行くのを感じます。もう10時になるのだが、足の正座は限界に来ている。金光様始め先覚諸師現に只今、今日御結界を奉仕されている先生方の無慾の奉仕、人が助かりさえすれば我身の苦難は有難し、いや苦難ではない、これ等に尊さを改めて思わされました。10時10分今日の奉仕の御用をさせて頂くための、心掛けになる様なおかげの泉を、読まして下さいとお願いして、繰らせて頂きました。
 第53号その中に只難儀な氏子が取次ぎ助けられる為の、言うなら中立ちとして言うなら神様のおかげと神様のお心を、取次かせて頂くために私がここに座っておる事ならば、それは奉仕と言う事になると言う所がありました。本当に有難うございます。勿体のうございます。1時から一通りご祈念を仕えさせて頂く。しみじみと心の底からご祈念を上げることが出来心が澄み切り、有難い静かな感動が湧いて参りました。ご霊前では歴代金光様、先覚諸氏のご霊前へ、心ゆくまで御礼をさせて頂く。
 神も助かり人も立ちゆく、あの世この世を通して、助かって行ける道を伝えて来られた、尊い御修行をはるかに思んばかり、改めてその流れの中に生かされてる私、その道を受け継ごうとしている私への、御神縁の勿体無さとこの道を、世界へ広げんと言う決意が湧いて参りました。9時間後夕参拝の時一歩一歩、歩かせて頂くにつけ、その歩みの一歩一歩が有難く、金光様にとって結界奉仕の有難さは言うまでもなく、お出ましの時お退けの時の、一歩一歩の歩みも。
 また何とも言えない有難さを感じられるのだろうと思わせて頂きました。一日の奉仕を終えて、足はもうどうしょうもなく痛い。でも心が有難いと言う心に浸りながら、神様に本気で心を向けさせて頂き、神様にと心を奉る真似ごとでもさせて頂くと、こんなにも有難いものであるのかと言う実感を味あわせて頂きました。何一つ修行らしい修行も出来ない私ですが、親先生の御神徳のおかげで、日々神様から御神夢やら、御心眼やら、御教を頂かせて頂き、本当に有難い勿体無い事です。
 ともすれば人に示そう示そうと言う思いが先に立ち、生き生きとしたものが欠け勝ちな私ですが、日々の神様の励ましによって、何とか一生懸命人が助かって行く力を、御神徳を頂かせて頂こうと、無欲に一心に神様に向かわして貰うて、努力しております。そういう日に日に新たな一日ですから、今までだったら三日坊主であった日記が、ずっと書き通しです。7月17日は、目が覚めたのは4時でした。
 あれほど教祖様への憧念心を燃やし、奥城に3時に参拝させて頂く事を、教祖様に約束させて頂き乍ら、学院に来て既に4度目の失敗でした。お出ましまで拝ませて頂けなかったのは3度目でした。これで2度目とも、お詫びのしるしに何かさせて貰わずにはおられない。あれ程の思いで取組ませて頂いた。こう思っていたのに、本当に申し訳ないとの思いから、今の合楽の生きられ方に反して申し訳ありませんが、これは詫びが叶うとか叶わないとか、少しも思いませんから、一日断食をさせて下さい。
 今日一日は生神金光大神様を常に念じ、お詫びの信行に徹しさせて下さいと、教祖様四神様三代様にお届けさせて頂いて、取組ませて頂きました。どうぞ親先生お許し下さい。まだ2ヶ月しかならないのに、三度も四度も起きられない、情けない私です。7月17日の日は4時に飛び起きて、教祖様の奥城へ行かせて頂く道すがら、断食を止めて神様からさせて頂く修行をさせて頂こうと思い、初めは軽く考えていたのですが。
 教祖様の奥城で、3時の参拝が出来なかったお詫びと、どうか神様からさせて頂く修行をさせて下さい。そうは言っても解りませんので、奉仕の御用をさせて頂いている心で、すべての事柄に心を配り、神様に絶えず心を向けさせて下さい。とお届けさせて頂くに及んで、その重さがびしびしと胸に迫り、そう願うのだから神様がさせて下さる修行は、どんな修行が待っているか解らないが、合掌して本気で受け続けて、受け抜こうと言う心が湧いてまいりました。
 三代様の奥城で、同じ様なお詫びとお届けさせて頂いている時、神様からさせて頂く修行は、辛抱じゃと言うお言葉を、三代様がまだ少年で鉄の玉を取に行かれ、私と一緒に砲丸投げの稽古をしようとしている情景とを頂きました。心を神様に奉って受けて受け抜く辛抱をさせて頂く事だなと思われ、何一つ修行らしい修行も出来ない私に、勿体無い思いで胸が一杯になりました。
 親先生本当に本当に有難うございます。その事を頂いて空を見ますと、これまで曇つていた雲の割れ目から、朝日がキラキラと真っ赤に輝き、大自然の美しさに、さらに深い感動を覚えました。学院生の朝参拝後帰院する途中で、突然雨が降り出しました。全てを今日は受け抜こうと思っていた私は、雨に濡れるのも有難いという思いに浸されました。夕食の後朝の残りの味噌汁を、その日に限って私が一人。
 たまたま飲ませて頂きましたが、もうすでに痛んでおり、その腐りかけた味噌汁を飲まされた事も、然も私一人だけが飲まされた事も、只々有難く受けさせて頂きました。おかげで腹は少しも痛みませんでした。神様一心に向かい、すべての事を神様に任せ切ろうと思いながら、遂に自力に頼り心を動揺させ勝ちな私です。親先生を始め緒先生、信者さん方のお祈り添えのおかげで、有難い勿体無い、学院生活を送らせて頂いております。親先生の御長寿ご健康と合楽教会の大発展を祈らせて頂いております。
 若先生始め緒先生方信者さん各位、青年会諸君にもよろしくお伝えください。尚恵美子に、親先生の夏期信行の御理解を書き送ってくれているお礼と、お兄ちゃんもお前の健康のことは、御霊地でお祈りさせて頂いているから、安心して御用に励む様、お伝えください。乱筆乱文申し訳ありません。もっと実意がこもる様、お願い申し上げます。」とございます。長々とした手紙ですけども、どの一言一句がですね。
 矢張り神様がもの言うて下さる様な感じ。正教さん自身も様々な事の中から、それを神の声を聞いたり頂いたりしておる。また事実御心眼やら御神示を頂いて、信心修行に励んでいる様子が感じられます。今日の御理解の中からです。本当に神がもの言うて下さると言うことは、決して御教を頂くと言う事だけではない。自分の周辺にも沢山の神様のお言葉があり、お姿がありそこからそれを神の声、神の姿と聞きとれ見とれる信心を、愈々大事にして行かなければならんと思うですね。
   どうぞ。